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11月10日に6年生が、上郡町内の古代山陽道と考えられる道,約8kmを歩きました。
その体験記を紹介します。 |
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まずは、車でたつの市にある小犬丸遺跡に行きました。
全国で初めて発掘された布勢駅家のあとです。
この布勢駅家跡から県道5号線を通って、椿峠を越えると上郡町に入ります。
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たつの市揖西町子犬丸遺跡 |
10:00 |
車から降りて、高田駅家があったと考えられる上郡町神明寺から歩き始めました。 |

上郡町神明寺付近 |
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しばらくすると、すぐに峠が見えてきました。峠は、高田台1丁目から上郡の東町へとつながる山道です。とても急な坂で、なぜ、下の道を通らずにこんな急な峠を通ったのかは分かりませんでした。
そこで、郷土資料館の方に聞きました。そうすると、古代山陽道は、直線距離で最短の距離をはかってつくっているため、峠を越えるようになったらしいです。
だけど、一般の人はしんどいため下の道を通っていたと考えられています。 |

高田台1丁目付近 |
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これがその峠です。
見上げるほど急な坂で約2キロありました。
上るのはとてもしんどかったし、下るのもとてもしんどいです。
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東町付近 |
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峠をこえるとそこからは上郡になります。そして田んぼの周りの細い道から今もよく使ったりしている太い道路までいろいろな道がありました。
でも、昔の人は私たちが歩いてきた道よりずっと歩いていてとてもしんどかっただろうと思いました。
今はどのみちもアスファルトの道だけど当時の道はかたい土で作っていて今ほどきれいな道じゃないので歩きにくいだろうなと思いました。 |

山野里駅前付近 |
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山野里小学校前を通り過ぎ、安室住宅の手前まできました。ちゃんと道路は整備されていますが、道幅はせまいです。 |

山野里安室地区付近 |
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高架下を通り、山野里の大酒地区を通りました。
右側に広がる田んぼはちゃんと整備されています。そして 左側は普通の民家です。人通りは少ないですが、道はきれいでまっすぐにのびています。
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山野里大酒地区付近 |
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山野里の大池付近です。当時は、この大池の中に古代山陽道がまっすぐ通っていたと思われます。 |

山野里大池付近 |
13:15 |

ようやく野磨駅家跡に到着しました。2時間12分かかりました。
平成14年から平成16年まで調査を実施。全体の10%発掘されました。 |
ここが、今の野磨駅家跡です。これからどうなるか楽しみです。 |
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これが、卒業生が私達に残してくれた「今昔物語集」です。手書きでかいているところもあって、説明入りでとてもわかりやすいです。この絵は、野磨駅家が、発掘されたされたところの入り口にあります。「今昔物語集」におさめられている野磨駅家の話のことがよくわかります。
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これは、落地の畑のほうのある、落地遺跡の案内掲示です。
普通の民家の畑からでてきたそうです。この遺跡は前期野野磨駅家跡です。
ここをズドーンとまっすぐ道幅10メートルの古代山陽道が通っていたそうです。 |
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あとは、落地につながる細い道で、ゆるやかな坂道になっています。
目の前には、国指定史跡山陽道野磨駅家跡の看板が立っています。
この道をまっすぐに行くと、国道2号線につながります。 |
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神明寺から梨ヶ原小学校まで歩いた歩数です。 15231歩で、2時間21分かかりました。
当時の人たちは、同じように休憩をしながらも、高田駅家から野磨駅家まで歩いたと考えられます。実際に歩くととてもしんどいです。だけど、昔の人は、奈良の平城京からずっとこのように野磨駅家まで歩いてきていたと思うととても大変だなぁと思いました。 |
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